発酵とは食材の命と菌の循環

🍄 発酵菌の思考と生命の共鳴:見えない社会の倫理

🧘 発酵菌の思考:利己と利他の「中庸」

発酵菌の行動を「思考」と呼ぶならば、それは人間的な「計画」ではなく、環境への「静かな応答」です。

菌たちは、自身のエネルギーを得るために、糖やタンパク質を分解し、酸やアルコールなどの代謝物を生み出します。これは一見、「利己的」な生存競争に見えます。しかし、発酵食品の豊かな風味と安定性は、この代謝物が結果として他の菌の「生存を助け」、あるいは「不要な雑菌を排除する」という、「利他的」な作用を生むことで成り立っています。

例えば、乳酸菌が生成する乳酸は、他の有害な菌の増殖を抑制し、結果的に酵母が安全にアルコール発酵を進められる環境を整えます。また、酵母は、乳酸菌にとって有害な乳酸を分解・資化することで、乳酸菌の生存を助けます。

これは、極端な競争ではなく、互いの「老廃物(無駄)」を「恵み(有用)」へと変え合う、循環の論理です。菌の思考とは、「利己」と「利他」のバランスを絶妙にとりながら、全体として最も持続可能な状態、すなわち「中庸」を目指す、東洋的な知恵の体現ではないでしょうか。

☯️ 多彩な菌の関係性:和合と棲み分けの美学

食材の中は、多様な菌種が織りなす「微生物の社会」です。この社会は、単一の王者が支配するのではなく、「和合(共生)」と「棲み分け(競合)」という二つの原則によって秩序を保っています。

  • 共生(和合):
    清酒における麹菌と酵母の関係のように、麹菌がデンプンを糖に変えることで、酵母がアルコール発酵のエネルギー源を得ます。これは、互いの欠けた能力を補い合う、相補性の美です。伝統的なヨーグルトやケフィアに見られる、複数の乳酸菌と酵母の複雑な共存も、互いの代謝物を調整し合うことで、単独では到達できない深い風味を生み出します。
  • 競合と排除(棲み分け):
    発酵の過程では、特定の菌が抗菌物質(抗生物質)や有機酸を生産し、他の菌の増殖を阻害します。これは、生存空間と栄養源を確保するための「生存競争」ですが、この淘汰のプロセスこそが、発酵食品に「安定した個性」を与え、「腐敗」から守る守護の力となります。

菌の関係性は、まるで自然界の森のようです。日光を浴びる高木と、その陰で育つ苔や下草のように、それぞれの菌が与えられた「ニッチ(生態的地位)」で最大限の役割を果たし、全体として豊かな生態系(発酵食品)を築いているのです。

⏳ 食材の命と菌の循環:宿主と客人の対話

発酵という行為は、菌が食材という「宿主(ホスト)」の命を分解し、新しい命を吹き込む、壮大な循環の物語です。

菌は、自らが生きるために食材の成分を利用しますが、その結果生み出されるアミノ酸(旨味)やビタミンなどの新しい物質は、最終的に人間というより大きな生命体の維持に貢献します。

食材の命、菌の命、そして人間の命。これらは断絶しているのではなく、「分解」と「創造」という発酵のサイクルを通じて、一つに繋がっている。

料理人が発酵の道を歩むとは、この見えない生命の連鎖に対する深い敬意と畏怖を抱き、菌たちの静かな対話に耳を澄まし、その「和合の叡智」を借りて、調和の極みを目指すことではないでしょうか。

あなたは、今、あなたの手のひらで発酵しているその食材の中に、どのような「宇宙の営み」を聞いていますか。

📝 ワークショップ詳細は
こちら

漢方の考えの夏ヨモギは、温性から寒性へ変わるから外用は良いけど内用はダメという考え方について

漢方的に見て、ヨモギって季節で変わるの?🌱🌞

まず、漢方の考え方を少しだけご紹介しますね📖 漢方では、植物が持つパワーをとっても大切にするんです。

春のヨモギ(ぽかぽか温性)

春に芽吹くヨモギは、これからグングン育つパワーがいっぱい💪🔥 体を温めて、血の巡りを良くしたり、冷えや湿気を追い払ってくれる「温性」と言われているんです。

夏のヨモギ(「ひんやり寒性」って言われちゃうことも…)

夏になって大きく育ったヨモギは、春の元気いっぱいのパワーが落ち着いて、ちょっぴり自分を守るための「アク」や「苦味」が増えるんです🌿💦 この強いアクや苦味が、漢方では「体を冷やす作用がある」「刺激が強い」と解釈されて、「寒性」とか「そのまま食べるのは向いてない🙅‍♀️」って言われることがあるんですって。

でも、これは実際に冷たいわけじゃなくて、その強い働きが体に負担をかけたり、体を冷やしちゃう可能性があるってことなんですよ💡

漢方では、食べる人の体質と食材のバランスがすごく大切なんです⚖️ 例えば、体に熱がこもりがちな人(熱っぽい体質の人)には、「寒性」の食材がクールダウンさせてくれる良いお薬になることもあります。でも、胃腸がデリケートな人や冷えやすい人(冷え性さん)が、アクの強い「寒性」のヨモギをそのまま食べると、体をさらに冷やして、お腹の調子が悪くなっちゃうこともあるから、「内用はダメ」って言われちゃうことがあるんですね😢


なぜ、せも太郎は夏のヨモギをあえて選ぶの?😲✨

でも、こう考えたんです。「暑い夏こそ、体をクールダウンさせてくれる『寒性』のヨモギが、むしろ良いんじゃないかな?」って💡

そして、漢方で心配される夏ヨモギの「アクの強さ」を、昔ながらのすごい知恵で解決しているんです!👏

そのとっておきの秘密は…✨「木灰(もくばい)でしっかりアク抜きをする」✨という方法!

漢方で「夏のヨモギは体に障るかも…」って言われる主な原因は、あの「強いアク(苦味やエグみ)」にあるんですって。

このアクの正体はシュウ酸などなんですが、せも太郎の「木灰を使ったアク抜き」は、このアクの成分を魔法のように中和して、取り除いてくれる作業なんです!💫

つまり、夏のヨモギが持っている「強すぎるパワー(寒性って言われちゃう原因)」を、人の手で優しく穏やかに調整しているんですね💖

アク抜きをすることで、夏のヨモギはこんな風に変わるんです!

  • 刺激が減って、体に優しくなる: 胃腸への負担が軽くなるから、いろんな人が安心して食べられるようになりますよ👍
  • 栄養はそのままに: ヨモギ本来のミネラルや良い香りはそのままに、いらない成分だけを取り除きます🌱✨
  • 性質が穏やかになる: 強すぎる「寒性(と言われる性質)」が和らいで、もっとマイルドで、夏にぴったりの優しい食材になるんです🥰

せも太郎の取り組みって、まともだろ!👏💖

「暑い時期だから、寒性のヨモギが良い」っていう考え方、納得できますよね! 体に熱がこもりがちな夏には、体の熱を上手に冷ましてくれる食材って、すごく役立つんです🌿✨ そして、「木灰でアク抜き」という昔ながらの知恵を使うことで、そのままの夏のヨモギが持つ心配な点を解消して、パワフルな夏のヨモギの恵みを安全にいただけるようにしているんですね👏

もし誰かに「夏ヨモギって漢方でダメって聞いたよ?」って言われたら、自信を持ってこう答えてみてくださいね!

「おっしゃる通り、生のままだとアクが強くて、体に負担をかけることもあるって言われますよね。でも、昔からの知恵なんですけど、『木灰でのアク抜き』っていう方法があるんですよ!それでアク(シュウ酸とか)をしっかり分解すると、ヨモギの性質がすごく穏やかになってくれるんです。だから、夏のヨモギの濃厚な風味と栄養を、体に優しく、美味しく楽しめるんですよ😊」

まさに旬の恵みを無駄にしないで、人間の知恵で安全に活用する、究極のサステナブルな食の形ですよね🌍💚 私たちも、身近な食材の奥深さや、それを最大限に活かす工夫について、もっと知っていきたいですね!

もし、習った教科書などに『ダメ』とあったら『なぜ?』という気持ちが必要だよね。『ダメ』の訳が分かれば対策もあるわけだし。

せも太郎のヨモギ、気になった方は、このほかにも投稿してますのでぜひ調べてみてくださいね!

これを読んで感想があればコメントしてね🌿

ヨモギのある暮らし !草の声を聴く・・・関連記事

せも太郎の紹介

#ヨモギ #夏野菜 #アク抜き術 #木灰 #自然栽培 #健康ごはん #季節を楽しむ #発酵ワークショップ

稲魂

稲刈りの季節ですね〜🎵

田舎では、あっちこっちでコンバインを
目にしますわぁ🎵😆アッハッハ

少し稲の話をしよう🎵

稲の成長に欠かせない三大要素は
窒素(N)・リン酸(P)・カリウム(K)と
いわれています

これらを外部からバランスよく
施すことが、稲の収穫量を上げる
うえで大切になりますよね

この三大要素の中で特に
注目したいのが『窒素』
私たちが生活する上で必要な空気には
酸素の他に窒素が含まれています

割合を見ると
窒素は約8割を占めているのです

もし、この空気中の窒素を植物に与えることができたらと思いますよね

天からの氣(パワー)と書いて
『天氣』と読みますが

なんと雷がこれを実現して
くれてるんです

雷放電により空気中の窒素は
酸素と結びつき、窒素酸化物となります

これが雨に溶けて降り注ぐと
稲の肥料となり成長を促進させる

そこまで多い供給量ではないものの
稲が成長する上で雷は非常に重要な存在なのです

雨に田圃と書いて『雷』と読みます

雷の⚡️光は天と地を結ぶもの

雷の多い時期に稲穂をつけます

なので
稲光と書きます
その光が稲の妻になると書いて
稲妻と書くんです

雷が多い時は多く稲穂をつけ
豊作だったことから
『雷さま』(らいさま)と
呼んでいました

この稲穂をつける時期に『稲玉』も穂につきます

だから昔の人は、『稲霊』『稲魂』と呼んでたのです

この稲霊を椿の木灰を混ぜたご飯の上に
蒔くと野生のオリゼが育ったのです

でも
現在は『稲こうじ病』と
病気にされてますけどねぇ!

和食がユネスコ無形文化遺産に登録されて久しいですが!

ほとんどの、日本人は和食の何を登録したのか理解してませんよね

日本は!
このような日本の古くから伝承された
四季の食文化を登録したのですよ

旬のそら豆で豆板醤を作ろう!

春から初夏が旬の「そら豆」

そら豆は、漢字では「空豆」や「蚕豆」と書きます。空豆と書くのは、さやが空に向かって伸びる姿に由来し、蚕豆と書くのは、さやが蚕(かいこ)の繭(まゆ)に似ているからなどといわれます。

亜鉛や鉄分などを豊富に含みビタミンやミネラル補給もできます。
この豊富な旬の栄養を発酵保存するのが豆板醤です。

四川料理の調味料のかなめとなるのが、豆板醤(豆瓣醤)。中国語では豆板醤を「豆瓣(ドウバン)」と言います。
豆板醤は大量の塩を入れ、ソラマメと唐辛子を発酵させる調味料です。

日本では大豆を使い、味噌を作りますが、四川ではソラマメなんですね。

本場四川省では、完熟した乾燥豆で作るのが基本です

日本では、生のそら豆を使って作る方法が一般的です。

完熟そら豆は、加熱すると栗のようにこっくり甘くなる、とてもおいしい豆

辛さ、甘さを調節できるのは自家製ならではです。

市販の豆板醤は、辛すぎて冷蔵庫の片隅で残りがち、という人も多いのではないでしょうか♪
でも、自家製なら、辛さの調節は自由自在。仕込む前に味を見ながら、好みの辛さになるように唐辛子の量を調節できます。

一般的な作り方はビンに詰めて発酵させますが

せもりーなでは真空包装にして発酵させるので管理が簡単です。

そしてワークショップが終わったら
せも太郎の発酵フルコースでお腹いっぱいにしながら醗酵ディスカッション
ですよん♪

おむすびのワークショップ

佐藤初女さんの、おむすびを体験し味わう

米一粒一粒を丁寧に扱い、お米がびっくりしないように少しずつ静かに水を入れてゆっくりと給水させ、ごはんはかために炊き上げます。手水は1回だけで、あとは、手のひらに塩をなじませ、掌(たなごころ)で、お米粒がつぶれないくらいの力加減でゆっくりと回しながら握ります。正方形に切った海苔(のり)をおむすびの上下、真っ黒に包みこんでできあがり。一口食べるとはらりと口の中でほどけるほどに空気が含まれているのに、米一粒一粒がしっかりと立ち上がり、噛(か)みしめるほどにおいしさが広がります。

日本のマザー・テレサ、佐藤初女さんは、福祉活動家

1921年青森県生まれ。青森技芸学院(現・青森明の星高等学校)卒業。小学校教員を経て79年より弘前染色工房を主宰。老人ホームの後援会や弘前カトリック教会での奉仕活動を母体に83年、自宅を開放して『弘前イスキア』を開設。92年、岩木山麓に『森のイスキア』を開く。アメリカ国際ソロプチミスト協会賞、国際ソロプチミスト女性ボランティア賞、第48回東奥賞などを受賞。著書多数。2016年2月逝去

=ー× =ー=ー× =ー=ー× =ー=ー× =ー=ー× =

講師に実把(みわ)さんをお呼びして、佐藤初女さんの、おむすびを体験していただきます。

プロフィール

実把(みわ)
19歳のとき、ガイアシンフォニー第2番を観て佐藤初女さんの映像に心惹かれました。

時は経ち、子どもを産んだ後、手伝っていた自然栽培宅配のグループで、佐藤初女さんをお呼びし、おむすびWSや講演会のお手伝い、また初女さんの許可を得てのおむすびWSのお手伝いをしていました。

初女さんのおむすび歴は10年ほど。おむすびをむすぶ度に、初女さんの伝えてくれた所作や言葉を反芻し続け、感じ、考えて、私なりに初女さんのおむすびを育んできました。

初女さんのおむすびのおかげで、我が家の子どもたちは「今日何が食べたい?」と聞くと「おむすび!」と答えるほどおむすび大好きに育っています。

おむすびと初女さんに関する体験談はたくさんあります♪

当日、初女さんご自身のこと、素材との向き合い方など、お伝えできたら、この上ない喜びです。

どうぞよろしくお願いします。

 
 

紀元節はこの国の始まり

戦後の歴史を学んだ我々は
1948年まで、
建国記念の日は「紀元節」と呼ばれていたことを知っておる人は少ないでしょう。

2月11日とは、

初代・神武天皇が即位した日であり「紀元節」はそのことを
お祝いする日だったのです。

しかし、戦争が終わってから、
この紀元節は問題視され

「国が紀元節を祝日にしていることは神武天皇の存在を認めることと同じ。紀元節を認めることで日本人の団結力を高めてしまうのではないか?」
こうして、1948年GHQ占領軍によって廃止され、紀元節(現在の建国記念の日)はただの平日にされてしまったのです…

しかし、当時の日本国民は、
紀元節の廃止を素直に受け入れることができませんでした。

「日本建国の歴史そのものが失われてしまう…」

国民の怒りと強い反発から、
代わりとなる祝日を制定する動きが
高まったのです。

(昭和23年(1948年)当時の世論調査では日本国民の81%が建国の記念日を望んでいました。)

自由民主党の衆議院議員らによって「建国記念日」制定に関する法案が提出されました。

しかし、日本社会党が「保守政党の反動的行為である」として反対します。
その後、実に7回…「建国記念日」の設置を定める法案は
提出と廃案を繰り返しやっとの思いで可決されました。
そうしてできたのが、
「建国記念の日」なのです。
しかし、そうした当時の努力も虚しく、今の日本人は、
自国の建国の歴史を学ばず、祖先が紡いできた伝統を忘れかけ建国記念の日がいつかすら答えられない状態になってしまっているのです

日本人が何世代にもわたり伝承してきた「日本神話」と「建国の歴史」を抹殺した

初代・神武天皇による建国の物語「神武東征」についても教科書から排除された。

「八紘一宇」とは神武天皇が即位されたときの御言葉である。
「日本全体を1つの家とする」という意味でありそのような“平和への願い“が込められた…日本の建国の精神であり歴代天皇に連綿と継承され続け「日本人は皆“家族“であるから日本人同士で争う事はやめてひとつの家族のように仲良くしよう」

現在も天皇陛下が体現なさっている「和の精神性」でもあった・・・・
しかしこれが戦時中に「日本が世界を征服するという意思を示したもの」と180度曲解され
2600年以上も伝承をつないできた「日本の歴史」が否定され、“闇“えと葬られたのだ。

日本の歴史教科書はすべてGHQ産の教科書に置き換えられた…

実は占領期に実施された「公職追放」という政策によって20万人が職を失った。
その空いたポストに戦前の犯罪者や「共産主義者」が大量に流れ込んでしまったのだ。
その結果「羽仁五郎」のような共産主義者や中国共産党・ソ連コミンテルンから潤沢な活動資金を受け反日活動を練り広げる左翼思想家が増殖。
アメリカによる占領が終わり日本が独立を果たした後もこれらの共産主義者が「日本教職員組合」(いわゆる日教組)「日本学術会議」の主要メンバーとして日本の教育界を牛耳り本格的に「反日教育」を拡大させていった不幸なことにその反日教育の影響を多大に受けてしまったのが天皇は「民衆を支配してきた悪の存在」であり、天皇や皇室を貶めることを正義とされたという。よりも「天皇打倒し教育を使って共産主義革命を行うこと」こそが彼らの目的であったそんな伝統の長い日本の歴史は非常に都合が悪かった“歴代天皇の系譜が記載された「古事記」や「日本書紀」は当時の権力者が都合よく創作創作した物語に過ぎないだから初代・神武天皇もそもそも実在しなかった「架空の人物」であり、研究する対象ではない“… .と
東京大学名誉教授・江上波夫
東京大学名誉教授・井上光貞
大阪市立大学名誉教授・直樹幸次郎
京都大学名誉教授・上田正明
など、古代史研究の中心的役割を果たした長たる戦後の学者ほぼ全員が神武天皇の存在を否定し一方的に「実在するわけがない」と決めつけた…
例えばよく述べられる理由として
「日本書紀」で神武天皇は127歳まで生きている。医療の発達してない当時そんなに長生きができるわけがない。だから、神武天皇は存在しなかった例えばよく述べられている理由として冷静に考えてみれば100歳以上の年齢だからといって天皇が“実在していなかった“と言う理由には全くならない神武天皇の否定論者は、ほぼ全員この論理を使うな実は当時の日本では、春と秋で年が変わる「180日間/1年」で年齢が計算されていた可能性が高くその計算にはてあ見れば「111歳=実際は55〜6歳」となるため特に問題なく自然な寿命になる「日本書紀」や「古事記」は創作であるから神武天皇も実在しなかった…
と言う明確な根拠もなくただ思想的な理由で「古代天皇の存在」を歴史上から抹殺させた…
実際に戦後の歴史学会で学者の立場から見てきた考古学者の森浩一氏は著書でこう残している「戦後の歴史学会には(建国をなし遂げた)神武天皇の統制には一切触れないという暗黙の了解があった。
ほんのわずかでも触れると研究者があらわると「科学的でない」と非難の雨が集中した。

なので現在学校で使われている歴史系教科書では「魏志倭人伝」の内容を元にして古代中国との関係から語られ元天皇の血筋とは関係のない「女王・卑弥呼と邪馬台国」がまるで日本の起源かのように記載されています。
神武天皇による建国の歴史については一言も触れられていません…逆に今の歴史教科書に載っている卑弥呼や邪馬台国については
残念ながら戦後の歴史学者によって建国の歴史は一方的に指定され中国の歴史上こそ真実が描かれていると信じられてきました。ほとんどの学者が「邪馬台国があった」という前提で論争したり古代史を語っていますが果たしてそもそも存在していたのでしょうか?なぜなら普通はありえないような「不可解な事実」がたくさん確認できるからです。
「例えば、日本国内のどこにも卑弥呼の「伝承」や「神社」が残っておらずその痕跡が1つも残されていません。
日本では聖徳太子や菅原道真、平将門など国を直接治めていたわけでない偉人でさえも神魂の祈りを捧げるため神社が作られてきた伝統があります。皮肉ほどの権力者で「国」を治める「首長」的存在であるならば地元の人々が崇めたり祀っていた形跡があるはず。
神社もそれらしい存在の痕跡も見当たらない

1945年(昭和20年)
あれから77年たっても戦後と言っている日本国民

1868年(慶応4年・明治元年)から153年まだ明治維新も終わってないのでしょうな

太陰暦ではお正月(旧正月)

今日は太陰暦(お月さまの暦)では正月です。

太陰暦では大寒の期間の新月→から新しい年の始まり
春(立春)がきます!

立春→前日が節分
魔滅(豆)とも言われている

鬼は外 福は内とは
ウィキペディアなどでは体の中で古くなったものをが悪さをするから追い払うといわれているとか言われている

本当は追い払うのではなく、この一年身体の中を守ってくれた細胞に感謝を持って受け止める。

そして新たな年を迎える。

地域によって「鬼は内、福は内」と唱えるようだ!

全国各地にこの時期は、神楽や能を催し色々な伝統行事が行われてきました!

これは先祖と睦まじく楽しみ
伝統の形を継承する行事だったんでしょうな。
「先祖の力」を体内に引き継ぎ新年を迎える。

お月さまの暦から太陰太陽暦になったのが明治5年です。

今の暦になってまだ150年くらいなんですね。

この前の長い年月
2千年以上太陰暦だったから、我々の身体には太陰暦が染み込んでいるはずですよね!

でも、それは教育では教えないんですなぁ😆

自分で学ぶしかない😅

では・・・・
皆さんあけましておめでとう⛩
ございます

by・・#せも太郎の独り言

MENU
Semola