神話での出雲大社

神話で読み解く日本の起源 出雲大社

平安時代の数え歌に、「雲太、和二、京三」背の高い建物(高層建築物)の順番を謳った数え歌です。
雲太、和二、京三とは、当時の高層建築物BEST3のことを言っています。

1位  →出雲大社(出雲太郎)

2位  →東大寺(大和二郎:東大寺は大和の国(現奈良県)にありました)

3位  →平安京大極殿 (京三郎)


高天原というのは日本を作ったとされるイザナミやイザナギ伊勢神宮に祀られるアマテラス等の神々が住まう天上の世界です。
高天原は神話の中では出雲に対し出雲に国譲りを迫った勢力して描かれています。一体その正体とは何なのか…
出雲の神殿の存在を裏付ける証拠が発見されたとはいえ天上の世界が存在するなどこの科学が発展した現代の常識からすれば当然あり得るはずはありません。では「高天原」というフィクションとしか考えられない存在の正体とは何なのでしょうか?
神話に関する研究は一向にこの謎を解明することができず長い間解明されずにいましたが
西洋美術研究の国際的権威として世界の強いわや宗教に接する田中教授は、これまでも誰も見抜けなかったある観点から「国譲り神話」をひもとき「高天原」の場所をついに特定したのです。
神社に秘められた「国譲り」の
“ある観点“とは一体何のことなのか?
高天原とはどこにあったのか?

神話を解明するには、“神社“にもっと注目しなければなりません。国譲り神話で出雲を収めていたのがオオクニヌシ・
彼を祀っていたのは出雲大社です。
そして、高天原勢力の代表としてオオクニヌシに国譲りの交渉を迫ったのはタケミカズチの神(建御雷神)です。
彼を祀っているのが茨城県にある鹿島神宮」神話の物語にさいしてまず、この2つの神社の形をじっくりと観察しなければなりません

そうすると“神話の暗号“とも思える面白い共通点が見えてくるのです。
「出雲大社」と「鹿島神宮」
二つの神話の神殿を見ると一体何がわかるのか?

この画像は「出雲大社」の神殿の設計図です。出雲の神殿には、奇妙な設計が施されています。
神様の神座が「横を向いている」のです。普通私たちが神社で参拝する際扉から入ってそのまままっすぐ対面して新じゃがむいてありますしかし、出雲大社だけは横を向いているため柱をくるっとまわって横向きに参拝しなければいけないのですこのような奇妙な設計になっているため、これまでは都市伝説として「国譲りで土地を奪われたオオクニヌシが祟らないように特別な設計にされた。」
「人々に参拝されないように横向きにされた。」など様々な憶測がささやかれてきました。
ですが注目すべきと指摘するのはもう一つの「鹿島神宮」の神殿です。

なんと「鹿島神宮」の本田も出雲大社と同じく本殿の神座が参道に対して横向きに立っているのです。神座の向きも神座の場所も全くの一致。「新座が横向き」と言う奇妙な設計になっているのは一般の神田ではほとんど見当たらず「鹿島神宮と」と「出雲大社」だけに見られる不思議な共通点なのです。
一体これらの共通の設計は何を表すのでしょうか?ここでもう一度だけ「国譲りの神話」を思い出しましょう。
=ー× =ー=ー× =ー=ー× =
オオクニヌシは、出雲を高天原の神々に譲り渡す条件として、以下のお願いをしました。
「高天原勢」に「私の住むところ、高天原に住む神達と同じように、頑丈な基礎と太い柱で建て、高天原に届くほど高く、千木をかざして立ててもらうならば、私は出雲の地の果てに隠れておりましょう。」
高天原勢のタケミカズチの神は、これを了承し、こうして出雲大社が作られました。
=ー× =ー=ー× =ー=ー× =ー
つまり、出雲大社は「高天原」の神殿に見せて建てられたのです。
タケミカズチが祀られる鹿島神宮があった場所が「高天原」であると考えれば…高天原に住んでいたタケミカズチの神が高天原式(鹿島神宮式)の建築方法で出雲大社を作っただから、鹿島神宮と出雲大社の神殿の形式は全く同じであり「「神座の向き」も共通している。このように納得感を持って説明することができます。もちろんそれだけではありません。鹿島神宮のすぐ近く茨城県鹿嶋市には「高天原」という地名が残っているのです。

こうして神社の形と「国譲り神話」とを結びつけることで「鹿島神宮の周辺こそが高天原である」

つまり高天原は実は“地上“のことであり、それは鹿島神宮を中心とした「関東」にあたる場所だったというのです。

そして面白いことに高天原を鹿島神宮を中心とした「関東地域」だと考えることで実にあらゆるところがうまく説明できるようになり神話と神社や遺跡との関係性それらの辻褄が合うようになります。

例えば神話の中でも最も神秘的なストーリーとして描かれる「天孫降臨」高天原の神々が地上(九州)に舞い降りてくる…
と言う常識では理解できない“現実離れ“した話であるためただのフィクションとしてされてきましたが高天原が関東であることに着目すれば天孫降臨とは「関東(高天原)から人々が船で海を渡って九州に移動した」という、現実の歴史的出来事として解釈できるのです。事実、天孫降臨した場所である「鹿児島」は「鹿島の子供」として地名に歴史が残されていますし今でも旅立ちや門出を意味する「鹿島立ち」言葉があったり、武士が遠方に旅立つ時、鹿島神宮に参拝しわざわざ鹿島から出発して安全を祈願する風習も残っています。

また、三代神宮のうちニつがなぜ関東にあったのか?…という不可解な謎も解けるようになります。平安時代、天皇家に深く関係する神殿として最高の格式を表す「神宮」の使用を許されているのは三つだけとされていました。
鹿島神宮(茨城県)香取神宮(千葉県)伊勢神宮(三重県) 三つです。
一体なぜ、奈良・京都が中心だった時代に関東のニつの神宮が天皇と深い関係にあるとされてあるとされたのか…?

天皇の祖先である(高天原」の神々が“関東“が起源であると考えれば合点が行きます。

このように「高天原は関東にあった」と考えることで古代における多くの謎の辻褄が合い、古代の史実の解明がつながってきます。
他にも、なぜ神話に関東や東北地域の記述がほとんど出てこないのか?
なぜイザナギ・イザナミが産んだのは西日本の島ばかりだったのか?
東日本にも島はたくさんあるのに古事記では「本州」としてまとめられてしまったのはどうしてなのか?
なぜ神様が天界である「高天原」において“稲作“や“機織り“などの労働をしていたのか?
海外の神話と比較してなぜか日本神話の神様は人間と同じような行動をしています。一体何故でしょうか?
そもそも、神話で語られる「神」とは一体、何を指しているのか?
今の天皇や神道とどう関係しているのか?などなどこれまで不可解とされた日本神話の謎についてもすっきりと納得感を持って理解できるようになるのです。
「高天原」や「出雲の国譲り」などこれまでは「創造のおとぎ話」や「フィクション」だと考えられてきた日本神話の物語ですが、ここ数十年の考古学的な発見で明らかになった遺跡や史跡また実際に全国で残っている「神社仏閣」をじっくり観察していくことで、不思議にも神話の物語と辻褄が合う「点」と「点」のつながりが見えてきます。今も各地に残る「神話の記憶」をたどり神話のダイナミックな物語に「解釈」を吹き込むということで日本神話が本当に実在した「日本の起源史」として見事に浮かび上がってきます。
そして高天原の神々から初代・神武天皇まで歴史がわかるようになり通説でいわれるよりもはるかに昔からの何千年年万年と「天皇の系譜」が脈々と続いてきた、まさに「奇跡」ともいえる日本の歴史の凄まじさを実感することができます。

しかしこのような凄まじい自国の歴史を私たち国民はほとんど知らされていません。私たちが今まで習ってきた古代の歴史といえば「縄文から弥生時代にかけて原始的な人間が活動していた」「卑弥呼が中国の王に認められ、日本初の女王として邪馬台国を統治した」神話や天皇の系譜にはほとんど触れられない話が続きその後突然「ヤマト政権」の時代に突入します。
肝心な自分たちの国の「出発点」を曖昧でぼやかされてきた形で教わってきたのです。一体なぜ、日本の成り立ちである「神話」を私たちは全く教われなくなったのか?
日本を占領したGHQ占領軍は日本人と心は(天皇)とのつながりを完全に断ち切るため学校教育で神話を学ぶことを禁じました。
天照大御神や神武天皇といった建国神話を教える国史の教科書は全て焼き払われ「天皇や神話に関する部分を墨汁で塗りつぶして読めないように」と子供たちは「角塗り教科書」を使用することになりました。自分たちの国の教科書を自分たちの国の成り立ちを全て黒く塗りつぶされ、神話を学ぶ機会を奪われたのです。
そして戦後75年経った今でも学校で「神話」について一切教わる教わる事はなく戦後の日本人は自国が2000年以上続く世界最古の皇統の国であるということも…
自国が天皇を中心として国家安寧を保ってきたということも…全て忘れてしまいまるで脳の1部を切りとられてしまったかのようにすっぽりと神話の記憶が抜け落ちてしまいました。
21世紀を代表する歴史学者アーノルド・ J ・トインビーは著書の中でこのような言葉を言い残しています。12、13歳位までに民族の神話を学が学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる。

これは今の日本の状況を入れているのかもしれません。
日本は現存する「世界最古の国」であり長い伝統を持っているだけでなく「神話」と「歴史」が密接に結びつく非常に神秘的でユニークな国です。
しかし多くの国民が神話の記憶を失いつつある今、このまま放っておけば何万年何世代にもわたり脈々と繋がれてきた、“日本の歴史の糸“が近い将来途切れてしまうかもしれません。

これほど珍しい歴史を持っているにもかかわらず日本人自身がその価値重要性に気付かない状態になってしまっているのは、非常にもったいないことではないでしょうか?
日本中に眠っているこの美しい歴史の真実を日本人に伝えていかなければならない神話の物語の背景には何が隠されていて何を伝えようとしていたのか?そういった先人たちの記憶を蘇らせることで古代から続く日本人の精神を取り戻してほしい。

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